\end{document} \section{統計学の用語} %3.統計学の用語 {\bf 縮約統計量} o 平均 o 最頻値(モード) o 中央値(メジアン) o 分散 o 標準偏差 {\bf 正規分布} o カール・フリードリヒ・ガウス(誤差論) o 誤差 o 偏差値 {\bf 推測統計学} o 母集団、無作為抽出(ランダムサンプリング) o 期待値、不偏分散 o 有意 o 尤度関数 * 多変量解析 * 回帰分析、重回帰分析 o 共分散 * 主成分分析 * 判別分析 * 数量化理論 * 揺らぎ * 大数の法則 第3回〜第4回:平均と標準偏差、相関と回帰 第5回〜第6回:事象と確率、順列と組合せ 確率論 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』   確率論(かくりつろん、Probability theory)とは、確率的な予言しかできない偶然現象に対して数学的なモデルを与え、厳密に解析する数学の一分野である。17世紀にパスカル、フェルマー、ホイヘンス等によって数学の一分野としての端緒が開かれた。   現代数学の確率論は、アンドレイ・コルモゴロフの "確率論の基礎概念"(1933年)に始まる公理主義的確率論である。他の現代数学と同様に、この確率論では「確率」が何を意味しているのかという問題は追求せず、「確率」が満たすべき性質をいくつか規定し、その性質から導くことのできる定理を突き詰めていく学問である。この確率論の基礎には集合論・測度論・ルベーグ積分があり、確率論を学ぶためにはこれらの知識が要求される。   現在、確率論は解析学の一分野として分類されている。特にルベーグ積分論や関数解析学とは密接なつながりがある。もちろん離散数学との関係も依然として深いが、離散的な場合であってもその内容は解析的なものであることが多い(つまり、不等号を駆使する学問である)。また、確率論は統計学を記述する際の言語や道具としても重要である。 基礎概念 確率論で使われるいくつかの重要な概念を簡単に解説する。詳しい内容は各項目のページにある。   標本空間 確率論においてはただの集合であり Ω と書く。空集合でない集合ならなんでも標本空間としてよい。意味的には、確率を問題としている領域において、ランダムに起こりうる現象の原因をすべて集めてきた集合である。このため、通常は非常に巨大な集合となる。この領域における確率論的な現象は「Ω からひとつの元 ω が選ばれるが、どの元が選ばれたのか分からない」ということがすべてのランダムさの原因になるように記述される。   事象 標本空間の部分集合のうち特別に選ばれたものを事象と呼ぶ。事象とする部分集合は勝手に決めてよいが、すべての事象を集めた集合 F は可算加法族になっている必要がある。確率論において、事象だけが確率を測ることのできる対象である。それ以外に、F は情報としての意味を持つ。事象 A に対して、Ω からランダムに選ばれた ω が A に含まれるか含まれないかは判断できる。F に含まれるすべての事象を使えば ω をひとつに特定できるかもしれないし、できないかもしれない。F の代わりに F より小さな可算加法族を使えば、特定できない ω が増加する。このように、可算加法族の大きさは標本空間を観察する目の細かさを表している。   確率測度 各事象に対して 0 以上 1 以下の数を対応させる関数を確率測度といい P と書き、事象 A の起こる確率は P(A) となる。Ω 自体は常に全事象と呼ばれる事象であり、全事象の起こる確率は 1 でなければならない。P も勝手に決めていい関数であるが、確率測度の公理を満たすように定める必要がある。客観確率のもついくつかの性質を選んだものであるが、ベイズ統計学のような主観確率を問題とする場合でも、人間はこの公理を満たすほど合理的な基準で確率を定めると仮定することによって、主観確率のモデルとして確率測度を使用する。   確率空間 標本空間 Ω と事象の全体 F と確率測度 P の組を確率空間と呼ぶ。確率の問題を確率論的に定式化するということは、この確率空間を定めることである。しかし、通常はその問題にはどのような確率変数が存在するかということを調査し、必要となる確率変数をすべて含むことができるぐらい巨大な Ω を定める。   確率変数 Ω 上で定義された実数値関数で、F 可測であるものを確率変数と呼ぶ。確率変数は、例えば「サイコロの目」のように、ランダムに値が決まる対象を定式化するものである。この定式化では、確率変数の値は「Ω からランダムに選ばれた ω」を元に自動的にひとつに定まる。すなわち、確率変数のランダムさの要因は「Ω からランダムに ω が選ばれる」ということのみになる。F 可測であるというのは、確率変数が ω に関してもたらす情報が F による情報を超えないということである。例えば、F によって区別できない複数の ω があるとすると、確率変数の値によっても、それらを区別することはできない。 "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E7%8E%87%E8%AB%96" より作成 第7回〜第8回:確率変数と確率分布、期待値 第9回〜第10回:離散型確率変数と2項分布 二項分布 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 二項分布 確率質量関数 グラフなし 分布関数 グラフなし 母数 n \geq 0 試行回数(整数) 0 \leq p \leq 1 成功確率(実数) 台 k \in \{0,\dots,n\}\! 確率質量関数 {n\choose k} p^k (1-p)^{n-k} \! 分布関数 I_{1-p}(n-\lfloor k\rfloor, 1+\lfloor k\rfloor) \! 期待値 n\,p\! 中央値 最頻値 \lfloor (n+1)\,p\rfloor\! 分散 n\,p\,(1-p)\! 歪度 \frac{1-2\,p}{\sqrt{n\,p\,(1-p)}}\! 尖度 \frac{1-6\,p\,(1-p)}{n\,p\,(1-p)}\! エントロピー モーメント母関数 (1-p + p\,e^t)^n \! 特性関数 (1-p + p\,e^{i\,t})^n \! 数学では、二項分布は、結果が成功か失敗のいずれかである n 回の独立な試行を行ったときの成功数で表される離散確率分布である。各試行における成功確率 p は一定であり、このような試行を、ベルヌーイ試行と呼ぶ。二項分布に基づく統計的有意性の検定は、二項検定と呼ばれている。 二項分布の典型例を次に示す。全住民の5%がある感染症に罹患しており、その中から無作為に500人を抽出する。このとき、抽出された集団の中に罹患者が30人以上いる確率はどれくらいか。抽出された集団の中に含まれる罹患者数を確率変数 X で表すとき、X は n = 500、p = 0.05 の二項分布に従う。ここで、求める確率は Pr[X ? 30] である。 一般に、確率変数 X がパラメータ n、p の二項分布に従うとき、X ~ B(n, p) と記述する。ちょうど k 回の成功を得る確率は、 P[X=k]={n\choose k}p^k(1-p)^{n-k}\quad\mbox{for}\ k=0,1,2,\dots,n ここで、 {n\choose k}=\frac{n!}{k!(n-k)!} は n 個から k 個を選ぶ組合せの数であり、二項係数と呼ばれている(C(n, k) とも表記する)。二項分布という名前は、この二項係数に由来している。この公式は、次のように解釈することができる。pk は k 回成功する確率を表し、(1 ? p)n ? k は n ? k 回失敗する確率を表している。ただし、k 回の成功は n 回の試行の中のどこかで発生したものであるから、C(n, k) 通りの発生順序がある。 もし X ~ B(n, p) ならば、X の期待値は E[X] = np であり、分散は var(X) = np(1 - p) X の最頻値は、(n+1)p 以下の最大の整数によって与えられる。ただし、m = (n+1)p において m が整数である場合、m ? 1 と m の双方が最頻値となる。 X ~ B(n, p) と Y ~ B(m, p) が互いに独立であるとき、X + Y は次の二項分布に従う。 B(n + m,p) n = 1 の場合を特に、ベルヌーイ分布と呼ぶ。 二項分布の近似として、2種類の分布がある。 * np および n(1 ? p) が5よりも大きい場合、B(n, p) に対する良好な近似として正規分布がある(適切な連続修正がなされている場合)。 N(np,np(1 - p)) 正規分布による近似を用いることにより、計算の労力を大きく削減することができる。正規分布への近似は、アブラーム・ド・モアブルが1733年に著書 The Doctrine of Chances の中で紹介したのが最初である。今日では、互いに独立で同一の分布に従う n 個の確率変数の和の分布は B(n, p) になることが、中心極限定理によって確認されている。警告:適切な連続修正がなされていない場合、不正確な結果になる可能性がある。 例えば、多数の住民の中から n 人を無作為に抽出し、ある質問について同意するかどうかを尋ねる場合を考える。同意する人数の割合は、もちろんサンプルに依存する。n 人を無作為に抽出する作業を何度も繰り返し行うとき、同意する人々の割合の分布は、実際の全住民の合意割合 p とほぼ等しい平均を持ち、標準偏差 σ = (p(1 ? p)/n)1/2 である正規分布に近似されるだろう。未知の変数 p は、標準偏差が小さいほど正確な推定が可能である。そのため、抽出する人数 n は多い方が好ましい。 * n が大きく p が小さい場合、np は適度な大きさとなるため、パラメータ λ = np であるポアソン分布が B(n, p) の良好な近似となる。 アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre, 1667年5月26日 - 1754年11月27日)はフランスの数学者である。シャンパーニュ地方に生まれたが、カルヴァン派の新教徒(ユグノー)であったため、1685年にナントの勅令が破棄されるとイングランドへと亡命した。したがって彼の業績はイングランドにおけるものであり、また生涯を通じて困窮していた。主な業績として、ド・モアブルの定理を証明したことが知られている。また、負の二項分布、(二項分布の極限としての)正規分布、今日スターリングの公式として知られる近似式なども彼の研究成果である。 ピエール=シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace, 1749年3月23日 - 1827年3月5日)はフランスの数学者。「天体力学」と「確率論の解析理論」という名著を残した。「天体力学」においては、剛体や流体の運動を論じたり、地球の形や潮汐の理論までも含んでいる。数学的にはこれらの問題はさまざまな微分方程式を解くことに帰着されるが、方法論的にも彼が発展させた部分もあり、特に誤差評価の方法などは彼自身の確率論の応用にもなっている。また、現在ベイズの定理として知られているものも、ラプラスが体系化したものであるので、ベイズよりもラプラスに端を発するという見方も強い。ラプラス変換の発見者。決定論者としても知られる。これから起きるすべての現象は、これまでに起きたことに起因すると考えた。ある特定の時間の宇宙のすべての粒子の運動状態が分かれば、これから起きるすべての現象はあらかじめ計算できるという考え方である(ラプラスの悪魔を参照)。しかし、ラプラスの死後、量子力学が成立すると、この考え方は成り立たないことが判明した。他に、ラプラスの星雲説などで知られる。 アドリアン=マリ・ルジャンドル(Adrien-Marie Legendre, 1752年9月18日 - 1833年1月10日)はフランスの数学者。統計学、数論、代数学、解析学で様々な功績を残した。ルジャンドルの研究は多くの数学者に受け継がれ、様々な理論が生み出された。例えば、多項式の根の研究はガロア理論へと繋がり、アーベルの楕円関数論の研究や、ガウスによる統計学や数論の研究などは、ルジャンドルの仕事が元となっている。1825年にフェルマーの最終定理の n = 5 の場合の証明を与えた。因みに、この証明は1828年のディリクレの証明と殆ど同じだったが、独立に証明された。数論では、オイラーによって予想された平方剰余の相互法則もガウスと独立に証明し、素数の分布に関する研究や解析学の数論への応用などがある。1796年に素数定理を予想し、1798年に出版した本で発表している。この定理は、1898年にジャック・アダマールやド・ラ・ヴァレ・プーサンによって証明される。ルジャンドルは、楕円積分の分類など、楕円関数論に関連する研究も多く行っているが、ヤコビやアーベル、ガウスの到達した逆関数の重要性にまでは気付いていない。解析力学では、ラグランジアンからハミルトニアンを導く時に用いるルジャンドル変換に、その足跡を残している。 ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauss(Gaus)、1777年4月30日 - 1855年2月23日)はドイツの数学者、天文学者、物理学者である。彼の研究は広範囲におよんでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。数学や磁気学の各分野には彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する。子供の頃から数学の才能を発揮し、歴史上の最高の数学者のひとりである。 略歴と業績 * 1777年 - ブラウンシュバイクに生まれる * 1795年 - 最小二乗法発見 * 1796年 - ガウス相互法則の証明。コンパスと定規のみで正17角形を作図できることを証明 * 1799年 - 代数学の基本定理の証明 * 1801年 - 整数論の研究出版 複素数表記、現代整数の表記導入 * 1801年 - 円周等分多項式 * 1807年 - ゲッティンゲンの天文台長になり、以後40年同職につく * 1809年 - 天体運行論出版 最小二乗法を用いたデータ補正、正規分布 * 1811年 - 複素積分、ガウス平面(複素数平面)ベッセルへの手紙 * 1827年 - 曲面の研究出版、微分幾何学を創始 * 1855年 - ゲッティンゲンで死去 生い立ちと幼年期   ガウスはドイツのブラウンシュヴァイクで煉瓦職人の父親と、清楚な母親の元に生まれた。子供の頃から彼は神童ぶりを発揮し、逸話として、小学校での話がのこっている(彼は後年好んでこの話をしたそうだ)。ある時、1から100までの数字すべてを足すように課題を出された。それを彼は、1+100=101、99+2=101、98+3= 101・・・となるので答えは101*50=5050だ、と即座に解答して教師を驚かせた。実際、算術の教師は彼の才能を見るにつけ、このような天才に自分が教えられることは何もないと言ったそうである。 (注:この逸話では、よく前記の初項=項差=1の数列が例に挙げられるが、説明の便宜上であり、実際には初項=81297、項差=198の数列であった。) 思想とおもな業績   ガウスは奨学金を得て大学に進み、数々の重要な発見を行った。彼は、古代ギリシアの数学者達に起源を持つ定規とコンパスによる作図の問題に正確な必要十分条件を与え、正17角形が作図できることを発見した(1796年)。作図できる正(素数)角形は古来から知られていた正三角形と正五角形のみだと考えられていたのでこの発見は当時の数学界に衝撃を与えた。作図できる正多角形の種類が増えるのは約二千年ぶりのことであった。彼はこの結果を非常に喜び、この成果である正17角形を墓標に刻むように申し入れた(結局、これは実現されなっかたが、彼の記念碑には正17角形が刻まれている)。また、この発見の日より、数学的発見を記述したガウス日記をつけはじめ、また自分の将来の進路を数学者とすることに決めたといわれる。学位論文で彼は代数学の基本定理を最初に証明した。後に彼はこの問題に対して4つの異なる証明を行い、複素数の重要性を決定付けた。 ガウスのもっとも偉大な貢献は数論の分野である。この分野だけが、その全貌ではないにしろガウスの研究が体系的にまとめられて出版された。それが1801年に発表したDisquisitiones arithmeticae(邦題『ガウス整数論』)であり、そのほとんどのページが二、三元の二次形式の研究に当てられている。この本は、数の合同の記号を導入し合同算術の明確な表現を与え、平方剰余の相互法則の初の完全な証明などが与えられている。自然数の素数による一意分解の定理が明確に言明され、証明されたのもこの本が最初であった。しかしこの本は、あまりにも時代をぬきんでた難解な著作であり、その上出版社の問題から発行部数が相当低かったこともあって、実際には当時理解できるものはほとんどいなかった。結局それがようやく理解されるようになるのは、それを詳しく解読し講義したディリクレの時代になってからである。 1809年にガウスはTheoria motus(『天体運行論』)のなかで彼の主要な研究であった最小二乗法のふるまいについて記す。これは現在の科学ではほぼすべての分野でデータを取る際に、誤差修正法として用いられている。また、最小二乗法の正確さを正規分布に基づいて表現できることを証明した。これについての論文は1805年にアドリアン=マリ・ルジャンドルが発表していたが、ガウスはこの理論に1795年には到達していた。 ガウスはブラウンシュバイク公爵から援助されて研究生活をしていた。それを不満と思っていたわけではなく、生活に困ってもいなかったが、数学そのものがそれほど世の中の役に立つとは考えていなかった。そのため、彼自身は天文学者になることを願うようになり、ケレス (小惑星)の軌道決定の功績が認められて1807年にゲッティンゲンの天文台長になった。そこでも測定用機材の開発(ガウス式レンズの設計)、楕円関数の惑星の摂動運動への応用など、数々の発見を行っている。 ガウスは非ユークリッド幾何学の一つである双曲幾何学の発見者でもある。しかしそれに関する発表は一切行わなかった。友人であるファルカス・ヴォルフガング・ボヤイはユークリッド幾何学以外の公理を発見しようと多くの年月を費やしたが失敗した。ボヤイの息子であるヤーノシュ・ボヤイは1820年代に双曲幾何学を再発見し1832年に結果を発表した。これについてガウスは「書かなくて良くなった」と発言している。この後、物理学の分野でこれが現実の世界にどれだけ妥当しているのかを計測しようと試みている。 1818年にハノーバー州の測量をする測定装置のために、後に大きな影響を与えた正規分布についての研究を始めた。これは測量結果の誤差に関する興味からである。また、測量と微分幾何学への興味から、曲面論を創始し、ガウス曲率が等長写像に対する不変量であることを発見し、1827年に発表した。この発見は、曲面が持つ内在的性質の研究の道を開き、リーマン幾何学へと発展した。また1831年には物理学教授のヴィルヘルム・ヴェーバーとの共著を行い、磁気学について多くの回答を与えた。ガウスの定理・ガウスの法則・ガウス(磁束密度の単位)・ガウス単位系は彼の名にちなむ。電気でのキルヒホッフの法則にあたるものを発見し、電信装置を作り上げた。これは1873年のヴィーン万国博覧会に展示された。 彼は数学の教授になったことはなく、教師となることも嫌ったが、リヒャルト・デーデキントやベルンハルト・リーマンなど彼の弟子達は偉大な数学者となった。 生活と家庭、友人   ガウスは信心深く、保守的な人であった。彼は君主制を支持し、革命の際にはナポレオンと対立した。ガウスは最愛の妻、ヨハンナ・オストホフ(Johanna Osthoff, 1780年 - 1809年)が若くして亡くなり、さらにそれを追うように子供が亡くなり、私生活は暗いものであった。特に彼はヨハンナを精神的な意味も込めて溺愛しており、彼女の死は彼の精神に大きなショックを与え、以後完全に回復することはなかった。意外にも彼はルイスの死後、すぐにフリーデリカ・ヴィルヘルミーネ・ヴァルトエック(Friederica Wilhelmine Waldeck 愛称ミンナ:Minna)と2度目の結婚をしたが、この結婚はあまり幸せでなかったようだ。彼は亡き前妻の面影が離れず、妻への手紙にもそのことを書く始末である。彼女も1831年に長い病気の末に亡くなり、その後はガウスが亡くなるまで娘のテレーズ(Therese)が身の回りの世話をしていたようである。1812年から彼の母親が1839年に亡くなるまで一緒に住んでいた。彼は他の数学者と一緒になにかすることはほとんどなく、打ち解けない感じで厳粛な人だったと多くの人が伝えている。ガウスには各妻に3人づつで合計6人の子供がいた。ヨハンナ(Johanna)との間の子供は、ヨゼフ(Joseph, 1806年 - 1873年)、ヴィルヘルミーナ(Wilhelmina, 愛称はやはりミン, 1808年 - 1846年)、ルイス(Louis, 1809年 - 1810年)である。なかでもヴィルヘルミーナの才能はガウスに近いものがあったと言われているが、残念なことに彼女は若くして亡くなってしまう。ミンナ・ヴァルトエックとの間の子供はオイゲネ(Eugene, 1811年 - 1896年)、ヴィルヘルム(Wilhelm, 1813年 - 1879年)、テレーズ(Therese, 1816年 - 1864年)をもうけた。オイゲネは1832年ごろ父の元を離れてアメリカ合衆国に移住し、ミズーリ州のセント・チャールズに移住した。彼はそこで尊敬される存在となった。しばらく後にヴィルヘルムもミズーリに移住し、農業をはじめ、後にセントルイスで靴のビジネスで成功した。テレーズは結婚した後もガウスの面倒を見て家に留まった。 晩年と墓所   ガウスはゲッティンゲンで1855年に亡くなり、Albanifriedhofの墓所に埋葬された。1989年から2001年にユーロ紙幣となるまで、彼の肖像と正規分布曲線が10マルク紙幣に印刷されていた。 生涯彼の弟子であったG・ワルドー・ダニングトンはガウスの伝記 『カール・フリードリヒ・ガウス: 科学の巨人』 など、多くの著作を残した。 ガウスの言葉 * 数学は科学の女王であり、数論は数学の女王である。 * 私は言葉を話すようになる前から計算をしていた * 数値の法則は目に見えて現れるものだが、その証明は宇宙の闇に深く横たわっている(?曖昧、数値は数論ではないかと考えられるが、不明 <- (数値の意味は、近世数学史談に多く語られている)) * 狭くとも深く ガウスの名が付いた法則、記号、単位等   ガウス平面 - ガウス記号 - ガウス=ザイデル法 - ガウス分布 - ガウスの定理 - ガウスの法則 - ガウス曲率 - ガウス・ボンネの定理 - ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム - ガウスの消去法 - ガウスの超幾何級数 - ガウス・マニン接続 - ガウス関数 - ガウス(磁束密度の単位) 1989年から2001年まで使われた10ドイツマルク紙幣にはガウスの肖像画がガウス分布の図、式とともに描かれていた。 ガウスの著書 * ガウス整数論 (ガウス著、高瀬正仁訳  ISBN 4-254-11457-5 C3341) * 誤差論 ガウスについての書籍 * ダ二ングトン 『ガウスの生涯 −科学の王者−』 東京図書 ISBN 4-489-00384-6 * S.G.ギンディキン 『ガウスが切り開いた道』 シュプリンガー・フェアラーク東京 ISBN 4-431-70704-2 ウィキメディア・コモンズに、カール・フリードリヒ・ガウスに関連するマルチメディアがあります。 第11回〜第12回:連続型確率変数と正規分布 中心極限定理 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 中心極限定理(ちゅうしんきょくげんていり)とは、確率論・統計学における極限定理の一つで、次のように表現される。大数の法則によると、ある母集団から無作為抽出された標本平均はサンプルの数を大きくすると真の平均に近づく。これに対し中心極限定理は標本平均と真の平均との誤差を論ずるものである。多くの場合、標本の分布がどんな分布であっても、その誤差はサンプルの数を大きくしたとき近似的に正規分布に従う。なお、標本の分布に分散が存在しないときには、極限が正規分布と異なる場合もある。 定理   期待値 μ, 分散 σ2 の独立同分布確率変数列 X1, X2, ... に対し、 その平均 [Xn] と期待値との差の \sqrt{n} 倍 \sqrt{n}([X_n]-\mu) = \frac{(X_1-\mu)+(X_2-\mu)+\cdots+(X_n-\mu)}{\sqrt{n}} は、n → ∞ の極限で期待値 0, 分散 σ2 の正規分布 N(0, σ2) に分布収束する。 従って、n が十分大きいとき近似的に、標本平均 [Xn] と真の平均 μ との誤差 [Xn] - μ は,平均 0, 分散 σ2/n の正規分布 N(0, σ2/n) に従うと言える。 正規分布 正規分布 確率密度関数 正規分布の確率密度関数 緑は標準正規分布 分布関数 正規分布の分布関数 色は確率密度関数と同じ 母数 μ 位置(実数) σ2 > 0 スケールの2乗 (実数) 台 x \in (-\infty,+\infty)\! 確率密度関数 \frac1{\sigma\sqrt{2\pi}}\; \exp\left(-\frac{\left(x-\mu\right)^2}{2\sigma^2} \right) \! 分布関数 \frac12 \left(1 + \mathrm{erf}\,\frac{x-\mu}{\sigma\sqrt2}\right) \! 期待値 μ 中央値 μ 最頻値 μ 分散 σ2 歪度 0 尖度 0または3 エントロピー \ln\left(\sigma\sqrt{2\,\pi\,e}\right)\! モーメント母関数 M_X(t)= \exp\left(\mu\,t+\frac{\sigma^2 t^2}{2}\right) 特性関数 \phi_X(t)=\exp\left(\mu\,i\,t-\frac{\sigma^2 t^2}{2}\right) 正規分布(せいきぶんぷ、 Normal Distribution)は、ド・モアブルが二項分布の近似として発見した確率分布である。 その後、ラプラスやルジャンドル等の誤差や最小二乗法に関する研究を経て、ガウスの誤差論で詳細に論じられた。 ガウス分布(Gaussian)とも呼ばれる。 概要 次の式で表される確率密度関数を持つ。 f(x)=\frac{1}{\sqrt{2\pi}\sigma} \exp\left(-\frac{(x-\mu)^2}{2\sigma^2} \right) ここで、μ は平均、σ2 は分散。この正規分布を N(μ, σ2) と表す。 とくに μ=0, σ2=1 のとき、この分布は標準正規分布と呼ばれる。標準正規分布を表す式は、簡単に f(x)=\frac{1}{\sqrt{2\pi}} \exp\left(-\frac{x^2}{2} \right) と書ける。正規分布曲線は左右対称なつりがね状の曲線である。直線x = μを軸に左右対称であり、x軸が漸近線である。なお、曲線はσの値が大きいほど扁平になる。 なお、中心極限定理により、巨大な n に対する二項分布とも考えることができる。 平均値のまわりのモーメントは E(X-\mu)^n = \begin{cases} 0, & \mbox{if }n\mbox{ is odd} \\ 1 \times 3 \times \cdots \times (n-1)\sigma^n, & \mbox{if }n\mbox{ is even} \end{cases} となることが知られている。また多変量の統計として共分散まで込めた多次元の正規分布も定義され、平均 μ = (μ1, μ2, ..., μm) の m 次元正規分布の同時密度関数は次の式で与えられる。 \frac{1}{(\sqrt{2\pi})^m \sqrt{|S|}}\exp\left(-\frac{1}{2}S^{-1}[\mathbf{x}-\boldsymbol{\mu}]\right) ここで、S = (σij) は分散共分散行列と呼ばれる正値対称行列で、記号 A[x] は二次形式 xTAx である。 この多次元分布を N(μ, S) と表す。なお、Nは「正規分布」を表す英語 "Normal Distribution" の頭文字である。 自然界の事象は、正規分布に従う数量の分布をとるものがきわめて多いことが知られている。また、そのままでは変数が正規分布に従わない場合も、その対数をとると正規分布に従う場合がある。 統計的な意味   確率変数XがN( μ, σ2)に従うとき、平均 μ からのずれが\pm 1\sigma以下の範囲にXが含まれる確率は68.26%、\pm 2\sigma以下だと95.44%、さらに\pm 3\sigmaだと99.74%となる。正規分布は、t分布やF分布といった種々の分布の考え方の基礎になっているだけでなく、実際の統計的推測においても、仮説検定、区間推定など、様々な場面で利用される。なお、実際に検定などにおいて正規分布を用いるときは、確率変数xを標準化した変数z=\frac{x-\mu}{\sigma}が標準正規分布に従うことを利用する場合がほとんどである。不連続値をとる確率変数についての検定の場合でも、連続変数と同様の考え方で正規分布を近似的に用いることがある。これは変数の個数が大きいほど、あるいはデータの階級幅が狭いほど、信頼できるものとなる。確率密度関数から実際に値を求める場合は少なく、標準正規分布表とよばれる、変量に対応した確率をあらわす一覧表から値を算出する場合がほとんどである。 第13回〜第14回:その他の確率分布、乱数、確率現象 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、数学者、物理学者。ポール・ロワイヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家のひとり。幼少のころから天才ぶりを発揮していた。17歳のとき、徴税官である父の仕事を楽にするために、機械式計算機の製作を試み、2年後に完成させた。1662年、世界で初めて公共交通機関としての乗合馬車をパリで創業した。 定時低価格の運行で好評を得るも、パスカル自身は創業後6ヶ月で死亡した。 業績 * パスカルの定理 * パスカルの原理の提唱 * 確率論の創始 * パスカルの三角形 著書 * 『パンセ』(1670年)死後、遺稿が整理されて出版されたもの。「人間は考える葦」・「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」など、引用句が多い。 * 『円錐曲線論試論』(1640年) * 『プロヴァンシャル書簡』 ジャンセニスムがイエズス会から批判されたとき、匿名でジャンセニスムを擁護した。 ピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat、1607年末もしくは1608年初頭- 1665年1月12日)はフランスの数学者。ただし、彼は実際には弁護士を職業としており、数学は余暇に行ったものである。1607年末もしくは1608年の初め、農民が空腹と貧困で一揆を起す頃と同時にフランスの小さな農村にて、後の偉大な数学者・ピエール・ド・フェルマーが誕生した。4000gを超える健康な子だった。実父のエドワードはピエールが生まれてすぐに一揆で死亡したため、実母のメアリーが女手一つで育てた。母は法律家の家系の出であり、熱心な教育も後押しして、ツールーズで弁護士の資格を取得。そこで法律家として一生を過ごした。数学においては、デカルトやパスカルなどと交流があり、幾何学を初め、確率論、微積分においても先駆的な仕事を遺したが、中でも数論における仕事は独創的で後世の数論家たちに大きな影響を与えた。数論への傾倒の直接的な契機は、30歳ごろに古代ギリシャの数学者ディオファントスが著した「数論」の注釈本を手に入れたことのようである。これを熱心に研究していくうちに(ほとんどどれも証明を記さずに)有名な48の書き込みをした。しかし実際にフェルマーの数論の仕事が世に知られるようになったのは、その死後に息子が「数論」を、父の書き込み付きで再出版してからであり、数論の研究においては事実的に孤立していた。その書き込みの中でもっとも有名になったのがフェルマーの最終定理と呼ばれるもので、単純な内容ながらプロ・アマ誰一人証明に成功せず、20世紀の終わりになってやっと解決された問題であった。 関連項目 * フェルマーの最終定理 * フェルマー数 * フェルマーの原理 アンドレイ・ニコラエヴィッチ・コルモゴロフ(英:Andrey Nikolaevich Kolmogorov、露:Андрей Николаевич Колмогоров、1903年4月25日 - 1987年10月20日)はロシアの数学者である。モスクワで生まれ、確率論および位相幾何学の大きな発展に寄与した。初期には直観主義論理学やフーリエ級数に関する研究を行い、また乱流や古典力学に関する研究成果もある。彼はまたアルゴリズム情報理論の創始者でもある。彼の研究拠点はモスクワ大学であった。ニコライ・ルチンのもとで学び、1925年に学位を取得して、1931年に同大の教授に就任した。1939年にはソ連科学アカデミーの会員となった。 教育者としても優れ、多くの弟子がいる。 イズライル・ゲルファント、ウラジーミル・アーノルドはコルモゴロフの弟子の代表的存在である。彼は「数学の一分野としての確率論は、幾何学や代数学と全く同じように公理を起点として発達させることができるし、またそうであるべきだ」という格言を残している。 関連項目 * 確率の公理 * コルモゴロフ次元 * コルモゴロフ複雑性 * コルモゴロフ空間 * コルモゴロフ・スミルノフ検定 * コルモゴロフ・アーノルド・モザーの定理 * コルモゴロフの0-1法則 * コルモゴロフスケール * チャップマン・コルモゴロフの等式 関連文献 * Selected works of A.N. Kolmogorov, edited by V.M. Tikhomirov; translated from the Russian by V.M. Volosov. 3 volumes. Dordrecht; Boston : Kluwer Academic Publishers, c1991-c1993 ISBN 9027727953 . * コルモゴロフ・ジュルベンコ・プロホロフ 著、『コルモゴロフの確率論入門』、丸山哲郎・馬場良和 訳、森北出版、2003年、ISBN 4627095112。 第15回    :試験